1982年夏、大友克洋に初めて出会った。
70年代の後半から
疾風のように作品を発表していた大友は、
まさにニューウエイブの旗手だった。
ショートピース、ハイウェイスター、さよならニッポン・・・。
その頃の俺は漫画アクションの増刊号を楽しみにしている
1ファンだった。
1980年だったと思うが童夢の連載が始まった。
これは実に衝撃で、この衝撃を音にしたかった。
いや、正直に言うと大友克洋に会いたかったのだ。
俺は何度も何度も企画書を書き直して双葉社の島津さんという
当時の大友の担当者(ってか大友を発見した人)に会いにいった。
漫画をレコードにするという当時としては接点のない企画に、
何度も断られながらもいつのまにか島津さんも情が移ったのか
「君、このあと時間ある・・・?」
「はい、なんでしょう・・・?」
「これから吉祥寺に行くんだけど、一緒に行ってみるかい?」
「はぁ、吉祥寺に何かあるんですか?」
「大友のアトリエだよ、俺もさぁ、
君の熱意は分かるんだけど、音楽に関してはイメージが
湧かないから本人に直接会って話してみれば?」
大友克洋に会える…それからアトリエの階段を下りて
いくまでの記憶があまりない。
「大友に会える、大友に会える・・・」
と念仏のような呪文のような思いが俺の思考をフリーズさせていた。
アトリエの階段を降りていく一段ごとに心臓に頼む、静かに
してくれと祈るほど緊張が高まりドアは開く。
「おう、どうだい・・・進んでる?」島津さんは馴染みの飲み屋にでも
入る気安さでアトリエに入った。
「ああ・・・、まあまあですかねぇ・・・」
へぇ・・・こういう声をしてたんだ!
クールに答えた大友は島津さんの後ろでおそらく緊張のあまり
引きつった笑顔をしていたであろう俺をキョトンと見つめていた。
「ああ、彼、例の伊豆君・・・」
それからは、いかに俺が大友作品を音楽化したいか、
どういう作品にしたいか一気にまくし立てた。
大友は時折鋭い突っ込みをしたり、頷いたり、笑ったり・・・。
でも最後に
「今、じゆうを我らにって僕の監督作品の編集作業があって
時間無いなぁ・・・。すぐに始めなきゃいけないんですか?」
「えっ?」
「すぐには無理なんだよなぁ・・・」
「あの、やっていいんですか?」
「そのつもりで来たんでしょ?」
驚くほどすんなり話はまとまった。
数年後大友が話していたが、これには島津さんの企画を持ち込んだ
ときからの説得があったそうだ。
アトリエを出て島津さんは
「暑いなぁ、どうだい一杯やってくかい?」
ガード近くの焼き鳥屋で飲んだ生ビールは極上の味がした。
ついでにこのアトリエは色々な出会いがあり、
今でも仲がいいのだが、江口寿史ともここで出会った。
遊人、相原コージ、吉田秋生、片山まさゆき・・・みんな朝まで飲んだ
仲間だったなぁ・・・。
その後、童夢は大友のスケジュールに合わせて少しずつ収録し、
二年後に産声を上げる。







